バリアフリー推進勉強会

当財団では、移動円滑化に関する新しいテーマや課題について、関心のある方々と情報共有し改善の方向性を考えることを目的とした交通バリアフリーに関するワークショップを月に1回開催しています。

第11回バリアフリー推進勉強会 in 関西 開催結果概要

難病当事者が語る日常生活と移動
 〜交通機関利用時に困っていることと、求められる支援・配慮について〜

配信期間
令和2年10月30日(金)午前10時〜令和2年11月5日(木)午前10時まで
視聴回数
173回
収録日時
令和2年10月20日(火)午後1時30分〜午後5時
収録場所
大阪キャッスルホテル 7階 菊の間
講師
尾下 葉子氏(NPO法人 線維筋痛症友の会 副理事長)
滝谷   香 氏(近畿つぼみの会 会員)
鈴木   繁 氏(大阪MS/NMOコムラード 代表)
コーディネーター
三星 昭宏氏(近畿大学 名誉教授)
パネリスト
吉田 哲朗氏(交通エコロジー・モビリティ財団 バリアフリー推進部長)

講演概要

講演@「難病・慢性疾患患者の社会参加を求めて」 尾下 葉子氏

(以下、講演概要)

講師:尾下氏
■発症と現在

 私は普段、1日の半分ぐらいは痛みや疲労などの症状のせいで動けないことが多く、布団の中で過ごしています。2005年ごろに発症し、半年ぐらいかけて動けなくなり痛くなっていきました。
 病気が、線維筋痛症だけではないなど色々なことが分かり、これは治らないと感じた際に「このまま治るのを待っていたら寿命が来てしまう」と思いました。治って良くなったら社会に帰ろうではなく、今の時点で出来ることから始めようと友の会のボランティアや近所の不登校の子供に勉強を教えるなどを行い、社会に関わっています。
 私の場合は、自分の体のご機嫌を見ながら、その時々で出来ることを選んで社会と繋がっています。動けない割には患者会などにも参加して、バタバタした生活をしています。


■難病の定義

 難病は、とても曖昧な定義で出来ていて、人数や疾患数によっても5千人や1万人とカウントされたり、病気の種類だけでも数え方によって4,000〜5,000種類あったりします。日本の難病法という法律だけでみると3百何十疾患あるなど、難病という枠が決め方によって変わる部分があり、当事者の生きづらさにも繋がっています。難病に関する法律がいくつかある中で、何年か前に出来た「難病の患者に対する医療等に関する法律」の中に「指定難病」という言葉が出てきます。長期に療養を必要とするとか、治療法が根本的にまだなく療養しながら生きていかないといけないなど人数要件や重症度の要件があり、それを満たす人が「指定難病」とされており、難病、慢性疾患全体に対する支援とあわせて二本だての定義がある状態になっています。


■難病者の社会参加

 難病者の社会参加を阻む要因は、とにかく見た目で分からないということです。見た目で困難が分からないし、人それぞれで病状の重さが異なります。治療が合えば一時期でも社会に復帰出来ますが、病状が悪くなると仕事等を辞めないといけません。一方で、ちゃんと病状をコントロールして定年まで勤める人もいます。あとは経済的困難が大きく、生きているだけでお金がかかります。そのため、公共交通などで移動しないとやっていけません。周りに家族や協力がある人は助けを借りて外出が出来ますが、付き添いとか障害者サービスなども受けにくいので、一人の場合は色々なことを我慢したり、恐怖を感じたりしながら、通勤や外出にチャレンジしている人もたくさんいます。


■私の日常生活

 私は、普通のスケジュールで暮らすのが難しく、痛みや疲労の軽減のためにいろいろな道具を持ち歩いています。公共交通機関では、移動にとにかく時間がかかります。階段を歩くのか、エレベーターに乗るか、いろいろ迷っているうちにあっという間に時間が過ぎてしまうこともあり、私の中では元気だった時の感覚プラス1時間半ぐらいのスケジュールで動くようにしています。
 痛みや疲労の引き金になることは、電車の振動、特に警笛などの音です。体調によっては、本当に心臓に刺さるかと思うくらいになるので、そういう時は途中で降りて休憩します。思いもしなかったことが痛いとか症状の引き金になるので予想が出来ないです。
 ヘルプマークは、私も一応持ち歩くようにしています。「見えない障害」を見える化しようという試みです。私たちに声かけを頂く場合の基本は、やはり対話というか尋ねてもらいたい。難病による暮らしにくさは、本当に一人一人異なるということをまず分かっていただけたらと思います。体調が悪い時や動けない時は、何も考えられないので、具合が悪そうな方を見かけた場合は、短い言葉で具体的な距離と時間の情報を伝えてもらえるとよいと思います。


■最後に

 「見えないものに思いをはせる社会をつくる」が、社会と繋がる私のテーマです。
 生きづらさというのは、本来その人の人生の数だけあります。お互い様というか人生の一時期だけ周りの支援が必要になる時期もあるのではないでしょうか。お互いを知り合うことで生きやすくなると思います。


講演A「何とかなるさ〜家族とともに生きる幸せ」 滝谷 香 氏

(以下、講演概要)

講師:滝谷氏
■日常生活とT型糖尿病について

 幼稚園の頃にT型糖尿病を発病し、病歴はもう33年になります。同じ病気の夫と中学一年生の一人息子がいます。
 T型糖尿病は、幼少期に発症することが多い病気であり、原因は正確には分かっていません。すい臓からの内因性インスリンの分泌は全く認められず、固定機能障害の状態です。血糖コントロールが非常に難しく、無自覚低血糖や高血糖による意識障害など、昏睡などに陥る危険が日常生活の中で常にあります。
 5歳の夏、T型糖尿病と診断されて近畿大学付属病院に約2ヶ月間入院しました。退院してからは、毎日たびたび行う血糖測定、2種類のインシュリン注射を朝・夕方・寝る前に打つこと、併せて食事療法と運動療法を続ける生活が始まりました。
 現在の私の日常生活は、毎日最低4回以上の血糖測定と食後の3回以上のインシュリン接種により、血糖値をコントロールしています。血糖値の測定は尖った針の部分を指先に刺して採血をして、機械、リブレに読み取らせます。長年、指先に何度も針を刺しているので、皮膚が硬くなって深く針を刺さないと採血出来なくなってきています。
 インシュリンは、お腹や太もも周辺、あるいは上腕辺りに注射します。注射する時間帯によって、早く効果が表れるヒューマログとゆっくりと効果が続くトレシーバーを使い分けています。しかし、血糖値のコントロールは簡単ではなく、低血糖になってぐったりしたり、顔面蒼白、手足の震えやしびれ、目のぼやけ、多量の冷や汗が出るなどのほか、意識障害を起こすこともあり、いつ低血糖が起こるか予測出来ないため毎日不安な生活を送っています。家の中には、すぐに誰もが手が届くようにジュース、ブドウ糖、グルカゴン注射を準備しています。子供にも「パパ、ママがしんどくなったらジュースを開けて飲ませてね。そして、おじいちゃん、おばあちゃんに連絡して。」と物心ついた時から教えています。
 重度の低血糖の時は、手の震えも激しく、ジュースを開けることも出来ません。意識を喪失して激しいけいれんを起こした時には、ジュースをうまく飲むことも出来ずに顔や体全体にかかってしまいびしょ濡れになります。誰か居てくれる時は、少し安心感もありますが、自分しか居ない時は、低血糖でも一人で対応しないといけないので、死なないよう倒れないように必死で行動しています。
 病院への通院は、車を持っていないので、家族みんなで月2、3回は交通機関、電車を利用しています。通院や出かける時は、いつどこで低血糖になるか分からないので、いつも緊張感と気を張りつめながら外出しています。最近では、一人での電車利用について、不安が大きくなってきて、低血糖にならないか、ましては知らない場所に行く時などは緊張するので、必要ない限り外出はやめておこうと思い始めています。夫も電車で私一人遠出する際は気にしているようで、今生きているかの確認の連絡がよくかかってきます。
 T型糖尿病患者は、無自覚低血糖や高血糖によって頻繁に命を削り、危険にさらされています。高血糖の時は、トイレの回数が多くなり、喉の渇きと激しい倦怠感があり、とても体がだるくしんどいです。インシュリンの追加などで対応しますが、あまりにもインシュリンを打ちすぎると急激に血糖が下がって低血糖にもなるので調節がとても難しいです。また、外出時はどこに行くのにも血糖測定とインシュリンのセット、それに低血糖の改善のための補食のジュース、ラムネが欠かせません。現時点では、根本的な治療法もなく一生続くもので、気をつけてコントロールしていても、今後合併症で徐々に進行していく病気です。そして、この病気は内部障害のため、外見からは分かりにくいことが多く、普段は元気に見えるので、周りから理解されにくく誤解されることもあります。低血糖の発作が、いつ、どこで、どのように起こるのかは、本人にも分からず外出時にも発生しますが、病気のことを知らない人たちは発作の見た目だけでは、ただの酔っ払いのように見えるため、対処の仕方で命の危険にもさらされてしまうのではないかといつも不安と心配ばかりです。


■交通機関に思うこと

 電車を利用して感じることは、電車のホームドアやホーム柵が設置されている所がまだまだ少ないことです。ホームの通路が、狭い所もあり、線路側からは離れて通るようにしています。
 しかし、もし低血糖などで倒れたら自分自身は意識もなくなってしまうので、ホームに転落することがあるかもしれないと怖くなります。だから、ホームドアやホーム柵の設置で救える命や助かる命もあると思います。
 また、ヘルプマークについては、低血糖の際など、外見では分からない人々が周りに配慮が必要なことを知らせるためにつけた方がいいのは分かっていますが、今でもつける勇気がないです。夫も私も見た目が元気な分、ヘルプマークをつけることに違和感があり、周りの人たちの「なんでつけてるの?」という風に見られたりしないかを不安に思うからです。


■最後に

 T型糖尿病の治療のための通院は、今までは1ヶ月に1回でしたが、現在はコロナ禍でもあり、2ヶ月に1回、夫と一緒に大阪医療センターに通っています。
 夫は、診察代と薬代で、2ヶ月で1回あたり45,000円以上と高額な医療費がかかります。治療にインシュリンポンプのほか、体内に入れるCGNといった定期的に交換しないといけないセンサーを使用しているためです。医療費もたくさんかかるため、少しでも費用を少なくしようと血糖測定の針やインシュリンの針を複数回使用します。私は、インシュリン接種で治療していますが、診察代と薬代で16,000円以上ぐらいかかっています。
 私も今後コントロールしづらくなったりするとインシュリンポンプ治療になる可能性もあるので、その場合は医療費が高いので払えるとは思えず、不安にもなります。通院は一生続くので治療費とともに交通費もかかり、少しでも支援されれば生活面で助かるのに、と思います。
 T型糖尿病のことやこの病気に限らず障害を持って生きている人がいることに目を向けてほしいし、障害のある人にも生きていく権利、そして、日常生活が明るい、住みやすい社会になっていってほしいと思っています。


講演B「造る目線から利用する側での色んなバリアフリー」 鈴木 繁 氏

(以下、講演概要)

講師:鈴木氏
■自己紹介と病気の症状

 元々、私はいわゆる建築屋で、総合請負に20年ほど従事して、設計から現場の施工、管理、全部を手掛けておりました。1994、5年ぐらいからリフォームやバリアフリーという工事についても行っておりました。阪神大震災の発生、その後の96年から97年ぐらいに本格的にバリアフリーが進み、一般的にバリアフリーという言葉が普通になってきました。2000年の介護保険制度の開始に伴い、手すりの設置などの受注を目当てに建築業者も介護保険制度の中に入り込んでいくような形になったと同時に、民間資格である福祉住環境コーディネーターもスタートしたことから、国全体でバリアフリーを進められています。
 私は、1997年に病気を発症し、1998年に多発性硬化症と確定されました。当時は、対応する薬が全くなくて、唯一の治療法はステロイドの集中投与しかありませんでした。下肢障害者手帳4級でしたが、5年後に体幹機能障害3級と悪化してしまいました。
 現在でも痛みとかしびれ、腰から下がしびれており、あとは硬直が発生します。足が上がっているような気持ちにはなっていても実は全く上がっていないです。


■駅のバリアフリー

 駅のプラットホームで視覚障害者のための点字ブロックがありますが、実はこれに私たちはつまずきます。足の先でつまずくというより足の裏でつまずく。下を向いて注意深く歩いていると大丈夫ですが、誰かと一緒に歩いている中で横断する時にドンと足の裏がつまずいてこけてしまいます。私の病状から言えば、点字ブロックに代替するシステムを作って何とかしてもらいたいというのが本音です。
 ある駅の階段では蹴上の高さがまちまちで、ずっとまちまちな所を歩かないといけない所があります。そこはエレベーターを利用するにも、エレベーターが大きな道路の向こう側にあって、向こう側まで地下を歩いて行って、エレベーターで上がって、今度は大きい交差点を渡って自宅へ帰るという形になり、煩雑に感じるので、ゆっくりでもいいから階段でストレートに上がろうということで階段を利用しています。構造から言えば、大きい道路をまたいでエレベーターが一つしかない駅の問題も指摘しないといけないと思っております。
 建築屋の目線では、階段に滑り止めの平板を貼る際は注意が必要です。貼ってしまって取り外すとなると撤去してしまわないとダメなので、貼る時にもうひと工夫の注意が必要かと思います。職人さんの技術の問題ももちろんですが、なぜ危ないのかも職人さん自身が気をつけていただきたいと思います。数ミリのズレなどは元々建築屋の私もすごく理解出来ます。現役の頃は正直何度も「ま、それはいいやないか」「かめへん、かめへん」と言ったこともあります。ただ、障害当事者になって階段を上がる中でこの場所で2、3回こけました。左側に手すりがあるので、こけても手すりで助かりましたが、やはり膝を打つなど怪我してしまいました。


パネルディスカッション


 コーディネーターに近畿大学名誉教授の三星氏を迎え、難病当事者である講演@、A、Bの講演者とともに、交通機関利用時の困りごと、交通事業者に望む対応等について議論を行いました。

【三星氏】

 公共交通への注文、不満、あるいは人的介助のお願いなど、移動空間の問題として意見を伺いたい。

【尾下氏】

 ある駅にホームドアが設置されたとき、私にとってはしんどい時に電車を1本2本待つために助かっていたイスが撤去されていました。駅のホームという有限空間の環境について思いを巡らすことがあります。
 私もホームドアは歓迎ですが、例えばイスの面では、必要な時に必要な人だけが使えるようなフレキシブルな設備があったらと思います。

【滝谷氏】

 T型糖尿病で緊急の場合、糖分を補給することが必要であるので自販機は設置してほしいです。

【鈴木氏】

 駅の構造上かと思いますが、エレベーターが道路の真ん中にあるパターンが多く両端に作って欲しいです。また上りのエスカレーターも徐々にでも良いので拡充していっていただきたいです。

当日の配布資料