2.従来の啓発策とその課題
エスカレーターの正しい乗り方の啓発はJRなどの交通機関を中心とした業界団体が2009年から正しい乗り方を呼びかけるポスターを作成し駅構内などに掲示していた。しかし、我々が行ったアンケート調査では66%の人が覚えておらず、都内73駅で調査をしたところ貼り出す枚数が少ないなど効果は見られなかった。既に10年近く実施してきた啓発策も消費者にはほぼ届いておらず情報の伝達や内容に問題があることが明らかになった。
実際にエスカレーター利用において片側空けは常識だと思っている人は実に我々のWeb調査では73.6%(610人)、に上り、間違った常識が根づいてしまっている。さらに、現在使われている「○○しないで下さい」のような禁止表現は、反発心を喚起させ、長期的に見ても抑止効果が弱いため有効的ではない。
以上のことから、これまでの啓発策は必ずしも効果的ではないことがわかった。
3.ヴィジュアル・デザインによる新た解決策の提案と実験
2017年、2018年の2年間にわたり目黒の商業施設「アトレ1」で手すりとステップ、ライザーにデザインを施し思わず掴まりたくなる、思わず立ち止るということをコンセプトにしたヴィジュアル・デザインによる啓発策を行ってきた。
事前と事後で検証を行ったところ、手すり利用率は1.07倍となり、歩行は0.8%減少した。また、アンケート調査からは、「手すりにつかまる事を子供に教えるきっかけになる。」「清潔感があり、“ぎゅっ”って書いてあったから思わず手すりにつかまってしまった。」など利用者の声を聞くことができた。さらに、このデザインを見て78%の人が手すりに掴まりたいと回答していたことから、手すりにフィルムを貼りオノマトペを用いたヴィジュアルデザインを施すことは有効であったと言える。しかし、歩行抑制、両側乗車の促進という課題が残された。アトレは商業施設であり、実際そもそも歩行率は低い。最も歩行の問題が大きい駅と同様の実験場所での効果測定が必要である。
4.六本木ヒルズメトロハットでの実験、検証
この社会実験も3年目に入ったが、外部環境が大きく変化してきた。今年度は全国52の鉄道会社がこれまでの「手すりにつかまろう」キャンペーンから「エスカレーター乗り方改革」を掲げ「歩かずに立ち止まって」を初めて明確に呼びかけるキャンペーンが行われるようになった。本研究も森ビル(株)と共同で次の実験場所に日比谷駅直結の六本木ヒルズのメトロハットを選び、エスカレーター3基のステップに足型のデザインを施した。ヴィジュアルデザインを用いたアプローチでメトロハット3基でのその効果を検証、分析した。調査はビデオカメラによるエスカレーターの利用実態と聞き取り式アンケート法による利用者の意識調査の2つを行った
六本木ヒルズは先に実験した「アトレ目黒」と異なり、エスカレーターが長く、朝夕は森タワーで働くワーカー(しかも外国人が多い)が多いことから駅構内と同じような状況が得られ効果の有無の検証が期待できる。施工前と後で撮ったビデオ観察からは事前は全くなかった右側に立ち止る人の光景が多く見られた。8月8日〜10日までは六本木ヒルズで働く人や来訪者に対してパネル調査およびアンケート調査を実施した。
施工前35,936人、施工後41,872人を調査。パネル調査は478人、アンケートは
295人から回答を得ることができた。
ワーカーの多い平日の朝夕の歩行率に最も大きな変化が見られた。平日朝は歩行率26.2%から10.5%と59.9%減少、夕方も25.6%から12.2%と52.2%減少した。目視での以前朝は日比谷線六本木駅からメトロハットに続く通路が大渋滞でエスカレーターの前でも左に渋滞ができていたが右側に立ち止まることで渋滞が緩和されていた。ビデオからは右に立ち止る人がいても後ろからの圧迫はさほど見られず、最初の勇気を持って立ち止まるファーストペンギンの存在が非常に大きいことがわかる。パネル調査とアンケートからは2列乗車に約6割の人が賛成であった。
全体的には一昨年、昨年の調査に比べ右に立ち止る意味や重要性を認識している人が多く見られた。メディアなどを中心とした地道な啓発活動の効果が見られる。今後も引き続きオリンピック、パラリンピックといった契機を逃さず継続して活動を行うことが重要である。
今後はこれらの実証実験を基に、更なる効果検証ならびにアンケートの分析を行い、検討を重ねなければならない。
参考文献
トム・ケリー&ディヴィッド・ケリー(2014)『クリエイティブ・マインドセット』日経BPマーケティング。
清水寛之編著(2003)『視覚シンボルの心理学』ブレーン出版。
セイラー・サンスティーン、遠藤真美(訳)(2009)『実践行動経済学』、日経BPマーケティング。
松村真宏(2016)『仕掛学』、東洋経済新報社。
本研究のデザインを紹介する六本木ヒルズメトロハットエスカレーター前のパネル